170年の歴史を持つ、スイス高級腕時計メーカー との契約
初めて海外営業に行った地は香港。当時まだイギリスの統治。
経済も繁栄し活気あふれる街に驚いたことを記憶している。
まさか数年後にこの地に住んで営業に走るとは夢にも思っていなかった。
ヨーロッパ時計業界へ
香港の時計業界は、アジア向けのメーカーとヨーロッパ向けのメーカーに分かれる。
当社が営業を展開し始めたメーカーはヨーロッパ向け。
その甲斐あって、ヨーロッパからの受注があるケースメーカーとのビジネスが始まる。
ヨーロッパの中堅どころのブランドがすでに香港のケースを使い、日本のサファイアカバーガラスを使い始めていた。
当社は直接ヨーロッパへの売り込みも開始した。ヨーロッパで始めて社長と訪ねた地はフランス。
といっても、スイスの国境に近いモルトー。
スイスのル・ロックルで電車を降り、車でフランスとの国境を越える。
簡単な入国手続きに戸惑いながら、雪深いモルトーへ。
宿泊したホテル(ペンション?)のお客は、私たち二人のみ。
夕食はフルコースのフレンチ。デザートはワゴンで私たちのためだけに作られた何種類ものケーキやブリュレ。
このときフランスの人の食文化へのプライドに圧巻させられた。
スイスの老舗時計メーカーのプライドがこのデザートに繁栄されているようにプロの魂を思い知らされたのはその2年後のことであった。
ユリス・ナルダン社
当社への引き合いがヨーロッパからきはじめた。
取引条件も合い、サファイアガラスのオーダーが入る。
現在に至るまで、国内、アジアのサファイアカバーガラスにはグレイドがあり、値段も違う。
特級品でも目に見えない傷ならば通るというのは日本、アジアでは普通であった。
当社も当然スイスへのメーカーへは特級品を供給した。
しかし数日後、メーカーからクレーム。9割が返品だというのだ。
当社のグレイドサンプルを持参し、即刻スイスへ飛んだ。
先方の社長、担当とのミーティングが始まった。
不良と言われた当社の製品はどう見ても当社の特級品。傷もクラックも見あたらない。
聞いてみると、なんと顕微鏡検査だという。
しかも顕微鏡で見て傷もクラックもあってはいけないのだというのだ。
試作品の時計を見せてくれた。当社のサファイアが入る時計の価格は3百万円。
そのほか一千万円、二千万円の時計を惜しげもなく出してきて見せてくれる。
私は大変なところへ営業をしていたんだと思った。
そしてそっと当社の不良サンプルをバックへしまった。
日本へ帰り、技術者にそのことを説明し、再度納期の検討をした。
同時に徹夜で技術者は顕微鏡で傷のないものの生産を研究した。
厳しい検査を通し何とか不良の代替数生産できた。
早速製品をスイスへ送った。
数日過ぎ“OK”のファックスが届いた。
バーゼルフェア
翌年のバーゼルフェアーでは設立150周年記念のパーティが行われ、当社もまた船をチャーターしての150周年記念パーティに招待された。
Mr.SCHNYDER一族やスタッフの方々と楽しい時間を過した1夜であった。
いいものを作るという妥協しない精神が今もトップブランドの時計を支えている。
トップブランドの時計に魅力があるのは、作る人の魂が時計に込められているからではないだろうか。
今も尚ユリスナルダンとビジネスが出来ることを誇りに思う。