二光光学の沿革
二光光学年表
1960 | 二光光学株式会社を設立 |
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1969 | 二光光学株式会社伊那工場を設立。プレハブ平屋の50坪ほどの小さな工場だった |
1971 | カバーガラスメーカーとして評価されるようになり精工舎(今のセイコーエプソン)と取引を始める。 (今は足も何の障害もなく十分伸びて、世界中どこでも行ってしまいますが・・・) 始めた当初は返品の山で、社長はじめ2.3人の人たちは毎晩深夜2時ころまで働き、社長婦人は下の子どもをおんぶしたままの作業で、そのこがちゃんと足が伸びるかまわりは心配したようでした。 |
1973 | 生産増大により、工場増築 |
1980 | 純金を使った水金印刷 色を重ねて印刷する多色印刷を導入してキャラクター時計や1ランク上の時計のカバーガラスを生産 |
1985 | サファイヤのカバーガラス生産に転化。 その当時はまだまだサファイヤは高級時計にしか使われていなかったが、 ダイヤモンドに次ぐ硬いサファイヤの加工技術は日本でも数社しかなかった。 最初は少量であったが、時計のカバーガラスに需要が高まってきた |
1986 | 科学技術長官賞を受賞 科学技術に関し顕著な功績をあげた証の賞。 昭和34年創設の27回目の受賞は当社が地域への貢献、いままでの技術向上が認められたうれしい受賞だった |
1991 | 韓国との共同出資で韓国二光を設立 |
1992 | 本格的な5Sに乗り出す。 研磨工場は汚れる仕事、3Kの概念を捨て、社内中フロアーから天井にいたるまで白に統一。 電気配線もクモの巣状だったのを整備。 必要なものが必要なときに必要なところにを社員一同心がけ意識向上 |
1993 | 自社開発機械の完成。 特殊サファイヤの加工のため、今まで使っていた既製機械の加工に見切りをつけ斜面機から自社性の機械に置き換え、 プログラム制御による画期的な機械で品質安定、コストダウンに貢献 |
1994 | V溝カット機完成 平面に自由にカットができるカット機を開発。 時計の文字盤、リングのカットにも応用 |
1995 | 信頼関係の中スイスの老舗時計メーカとの取引開始。 海外営業にも力をいれ、アジアをはじめヨーロッパにも信頼関係でつながっている会社を開拓。 ヨーロッパ関係のメーカの検査内容は目視ではなくて顕微鏡検査。 日本では問題ないサファイヤガラスがヨーロッパの検査基準だと半分も良品にならない。 「次工程はお客様」を合言葉に、作りこみ時の品質向上を考える |
1996 | 極少レンズ加工機完成。 直径5mmから15mmのガラス棒を設定の厚さに切断しその表面にカーブをつける自動機この機械は需要が多く製造メーカにからも引き合いがあり販売もした |
1997 | 香港営業所を設立 |
1998 | アルバの”スプーン”爆破的な人気。 スプーンの時計のカバーガラスを販売前からかかわってきた当社としては、やったー久々のヒットと喜んでるのもつかの間。 この爆発的な人気に、売るのは今だ!と思いきや、増産体制をとるのは流行ものだけに複雑な心境・・・ でも開発当初「こんな時計ほんとに売れるの?」と思っていてた当社スタッフは市場センスのなさに反省 |
1999 | オートローダー芯取り機完成。 待ちに待った、半自動芯取り機、外形の形状をプログラム制御によみこみ切断時は自動機というすぐれもの。 今まで外形切断(芯取り)に一番時間がかかり生産性が悪かったのが 少人数での大量生産が可能になった |
2000 | Microsuft Accessによるシステム構築。 Windowsの導入によりシステム変更で従来のシステムが使えなくなったため、Microsuft Accessによるシステムを自社で構築。 すべての業務がオリジナルになったため、使い勝手がよく、また、業者委託の費用も0になり、大幅な経費削減のメリットがあった |
2001 | 目で見る管理、数字への意識を高め作業の標準化をはかる。 パソコン講座を開き、社内全員がパソコンを使用できるようになった。 Microsuft Accessによるシステム管理を社内にも導入して、パソコンによる工程管理が可能に。 今まで、特殊加工だけに基準書の製作が難しかったのが、数字の管理により、標準にちかづいてきた |
2002 | 無反射コーティング増産。 高級時計にも反射を防ぐ、無反射コーティングが使われるようになった |
2004 | 日本では特殊品 韓国で量産品中国の影響で、サファイヤ業界にもコストダウンの要請は強いられてきた。 そのため日本はスリム化し韓国での生産体制に切り替えた |
2007 | 多業種展開開始 |
2012 | 新MC導入 微細加工に対応 |
2015 | 少量多品種の生産体制構築 |